(カットはWORDクリップアートより)

  

現代線形代数入門分解定理を主軸に整理整頓 

http://linalg.u-aizu.ac.jp       

 

製作 再履修線形代数研究会 代表 池辺八洲

浅井信吉   会津大学 nasai@u-aizu.ac.jp

池辺八洲  筑波大学名誉教授・会津大学名誉教授

ikebe@ibaraki.email.ne.jp http://www.ne.jp/asahi/ikebe/yasuhiko/

池辺淑子    東京理科大学 yoshiko@ms.kagu.tus.ac.jp

  蔡東生     筑波大学 cai@is.tsukuba.ac.jp

宮崎佳典    静岡大学 yoshi@inf.shizuoka.ac.jp

 

まえがき

線形代数(あるいは行列論)の基本的骨組みは19世紀末までに完成している。20世紀前半までの行列計算は本質的に手計算の時代である。この状況は1950年代後半におけるコンピュータ出現により一変した。研究・開発現場において新しい行列計算問題が提起され、60年代には新数値解法の開発と理論的解析の研究が急速に進んだ。

そして1970年代、標準的行列計算用パーケージLINPACKLinear Equation Solvers Package)、EISPACKEigensystem Solvers Package)が開発され、普及し、今日のLAPACKLinear Algebra Package)、へと統合進化した。MATLAB(Matrix Laboratory)が開発されたのも70年代である。協同製作者の一人は米国においてEISPACK開発計画に参加している。

1980年代になると、気象予測、分子計算、遺伝子計算などの大規模計算問題に対処するため、複数コンピュータによる高性能計算の仕組みが開発され、以後ハードウエア・ソフトウエアともに急速な進化発展がなされている。

このように、研究開発現場において、計算技術に関する多種のニーズが発生し続け、これが関連する数理の研究と計算技術の発展を促し、これが計算現場に帰還する、という構造が続いている。このような応用計算の世界における重要な下部構造を形成するのが行列計算である。

このコンテンツは以上の状況を念頭に置き、「学ぶべきは学ぶ」とする、大学生、院生、社会人、一般数学愛好家を対象に、「整理整頓」を旗印として、大学線形代数テキストの標準的内容を含み、かつ「Golub and Van Loan, Matrix Computations」などの現代行列算法解説書を読むために必要な理論的基礎を提供するための線形代数入門書、として準備されている。予備知識としては、大学教養レベル線形代数の履修経験があれば理想的であるが、その大半を忘れた人も歓迎である。教材を適当に取捨選択すれば、大学初年級線形代数の履修内容にも適するであろう(共同制作者の一人は実際にそうしている)。

このコンテンツは15のレッスンに分けてのべてある。各レッスンの概要をのべよう。

レッスン12は、行列算、ベクトル空間、線形変換の基本概念の定義と簡単な帰結を述べるためのレッスンである。内容的には標準的教科書と大きな違いはない。

レッスン3では、このコンテンツのレッスン順序に従いつつ、線形代数の概要を「同値分解」、「LDU分解」、「行列式」、「シュール分解」、「QR分解」、「ジョルダン分解」、「特異値分解」、「CS分解」、「内積とノルム」、「行列とグラフ」に分けて説明している。行列算をすでに知っているラーナーはレッスン3から読み始め、レッスン12は必要に応じて復習して頂くのも一案である。

レッスン45の主題は「同値分解」と「LDU分解」である。前者は、与えられた全く任意の行列に左右から適当な可逆行列を乗じれば、対角成分がすべて10であるような対角行列になることを保証する。単純明快な分解だが、含蓄は外見より深く、一次独立性、基底、次元、階数、連立一次方程式の可解性、など、数え方にもよるが15個くらいの基本的な事実がこれから出てくる。個々の事実を記憶するのも大事だが、「同値分解」の使い方を覚えれば、忘れても復元できるであろう。

LDU分解」は「同値分解」の一種である。与えられた行列に左から適当な順列行列を乗じた積は(単位下三角行列)・(対角行列)・(単位上三角行列)型の積に分解できることを保証する。この分解は行列方程式の直接解法として古くから知られているガウスの消去法と同値である。さらに、与えられた行列の階数はその行列に内在する可逆小行列の最大次数に等しいことを証明するのにも必要となる。 

レッスン6では「行列式」の説明を行う。行列式は理論的ツールとして大切である。ただ、その値が実用上必要となる場合は稀である。「3次実行列式の値はその列(あるいは行)によって決定される平行6面体の符号付体積を表す」ことは行列式の性質を理解する上で役に立つ。 

レッスン7から固有値問題に入る。固有値問題とは、簡単にいえば、「与えられた正方行列の振舞いがどんな座標系から見れば、どの程度に簡単に見えてくるか」の研究である。いいかえれば、「可逆行列に対応する座標系から見た、与えられた行列の姿(相似変換)をどの程度に簡単化できるか」の研究である。

レッスン78では、最も基本的かつ実用度の高い「シュール分解」、その導出に必要な「QR分解」および応用を展開する。「シュール分解」はユニタリ相似変換の範囲内で三角行列化が可能であることを保証する。とくに、エルミート行列に対してはこれは相似対角化となる。「QR分解」も柔軟性と実用性に富む分解である。可逆行列の「QR分解」は「グラム・シュミット直交化法」と同じく、与えられた行列をユニタリ行列と三角行列の積に分解する。

  レッスン910のテーマは線形代数の最高峰といわれる「ジョルダン分解」と応用である。これも固有値問題の構造を明らかにする。すなわち、適当な可逆行列による相似変換により、任意の正方複素行列は「ジョルダン標準形」(ブロック対角行列、ここに各対角ブロックは、同一の対角成分をもち、一本上の対角成分はすべて1であるような、上2重対角行列である)にまで簡単化できることを保証する。ただ、証明は長丁場となるので、知られている証明法からわかりやすいものを選んだ。この定理の応用は広範囲に及ぶ。

  レッスン1112では「特異値分解」と「4分割された直交行列の各ブロックの同時特異値分解」ともいうべき「CS分解」を扱う。これらは「シュール分解」の応用でもある。「特異値分解」は一般の長方行列に適用し、その定義域と値域に別個のユニタリ座標変換を許せば、その行列は同型の対角行列(正の対角成分=特異値、その他は0)にまで簡単化できることをいう。「CS分解」は部分空間間の距離を論ずる場合などに有効な事実として知られるが、原著論文以外に証明をのべた文献は少ないので、レッスン12で詳しい証明と解説を行う。ここで扱う「CS分解」は使いやすいPaige – Saunders型のものである。

レッスン13では内積空間の一般論を展開する。これ以前にも、型の内積はよく使っている。内積空間はノルム空間の一種であるが、両者の区別は平行四辺形の法則の成否である。この証明を述べた文献は少ないので丁寧な証明を付した。

レッスン14では、簡単にいえば、有限次元ノルム空間間の線形変換(行列もこの一種)の基本的な解析的性質を証明つきで丁寧にのべてある。ただその範囲は行列の「収束」「極限」を扱うために必要な事項のみにとどめ、深入りは避けた。ただ、有名なハーン・バナハの定理は後ほど必要となるので、巧妙極まりない証明とともにのべてある。ラーナーは行列論の奥行きの深さに今一度感嘆されるかも知れない。

「代数学は算法の研究が中心、解析学は極限過程の研究が中心」は本当ではあるが、これは人工的、便宜的な区分に過ぎず、重要事実の中には両者からの帰結であるものが多い。例えば、「次行列の固有値は個ある」を証明するには「複素係数多項式は少なくとも1個の零点をもつ」を使う必要があるが、これは複素解析で証明される定理である。レッスン1314はこのような事情を念頭に準備されている。

レッスン15は最後のレッスンである。ここではグラフ理論と行列論の共生効果の例を解説する。具体的には「優対角かつグラフが強連結な正方行列は逆行列をもつ」を証明し、これを微分方程式の境界値問題を差分法によって離散化して得られる、行列方程式に応用する。

上のレッスン概要からおわかり頂けるように、コンテンツでは線形代数の骨組みを、数個の分解定理=主役、行列式・内積・ノルム=脇役、に大別し、これに沿って説明を行うという方針をとっている。線形代数を整理整頓した形で頭の引き出しの中にしまっておくにはこれがよい整理法であるとの考えから出た方針である。

実際の記述に当たっては、「どこが難しいのか、なぜ難しいのか、難しくてもなぜマスターすべきなのか」がよく伝わるように心がけたが、これは「いうはやさしく、行うは難し」であった。

数値解法に関する記述は、このコンテンツの目的から、ごく簡単にとどめてある。また、英書を参照されるラーナーの便宜に配慮し、術語は「行列matrix」のように、和英併記を原則とした。 

各レッスン末に「腕試し問題」を設け、すべてに解答を付した。プロジェクト型の問題も少数混じっている。

若いときの修行は後年かならず報いられるものである。ラーナー各位の勉学が進むことを念じつつ、ペンを擱く。

 

20074月桜満開のころ 茨城県つくば市にて 代表 池辺八洲彦 

 

参考書

このコンテンツの準備に当たっては多数の文献のお世話になった。参考にした主な既刊書を、和書、洋書の順、著者名のアルファベット順に、挙げる。ただし、引用論文は、引用個所で挙げてある。これらの著者にこの場を借りて深甚の謝意を表す。線形代数の教科書、演習書、行列算法解説書は以下に挙げるもののほかにも多数出版されている。

(教科書)

(1) 斉藤正彦 線形代数入門 東京大学出版会 初版1966

(大学レベル線形代数入門用教科書のひとつ。)

(2) 遠山啓 行列論 共立出版 1952 (共立全書47

(行列論の入門書として話題が豊富である。グラスマン代数の解説もある。)

(3) J. W. Demmel, Numerical Linear Algebra, SIAM, 1996

(数値線形代数の好著の一つ。Trefethen & Bauより理論的。)

(4) F. R. Gantmacher, The Theory of Matrices, Volume I and II, Chelsia, 1959

20世紀半ばまでの行列論の集大成。開巻早々におけるガウスの消去法を梁の荷重・たわみの関係に結びつけ説明はおもしろい。)

(5) . H. Golub and C. F. Van Loan, Matrix Computations, Third Edition, The Johns Hopkins University Press, 1996  

(行列算法全般にわたる濃い内容が簡潔に書かれている。巻末に詳しい文献リストも付されている。初般(1983)以来の改定の歴史は行列算法の最近の進歩を反映させたものである。第4版の出版がすでに予告されている。)

(6) N. H. McCoy, Introduction to Modern Algebra, First Edition, Allyn and Bacon, 1960

(読みやすさ、わかりやすさは群を抜く。自然数から出発し、整数、分数、実数へと進む構築過程を丁寧に示し、「実数は一つしかない完備な順序体を表す」ことを証明している。初版に最大の特色有り。)

(7) B. Noble, Applied Linear Algebra, Prentice-Hall, 1969

(初版は話題・例題豊富な好著。B. Noble and J.W. Danielによる改定版(1977)はより数値計算

志向。)

(8) G. F. Simmons, Topology and Modern Analysis, McGraw-Hill, 1963

(一般位相解析・関数解析入門用の好著。)

(9) G. W. Stewart, Matrix Algorithms, Volume I, II, SIAM, 1998

(大家による行列算法解説書。簡単な歴史的記述もあり、詳しい文献リストも付されている。)

(10) A. E. Taylor and D. C. Lay, Introduction to Functional Analysis, 2nd Edition, Krieger, 1980

(関数解析入門書。有限次元ノルム空間に関する解説は行き届いている。)

(11) L. N. Trefethen and D. Bau, III, Numerical Linear Algebra, SIAM, 1997

(行列計算入門書。新しく、読みやすい解説が特色。)

(12) J. H. Wilkinson, The Algebraic Eigenvalue Problem, Oxford, 1965

60年代前半までの行列算法と誤差解析手法を集大成した、一種のバイブル的存在。著者は

1970Turing賞受賞者)

(演習書)

(1) 小寺平治 線形代数 共立出版 1982

(2) S. Lipschutz, Linear Algebra, McGraw-Hill, 1968 (In Schaum’s Outline Series)

12のどちらも演習書としてよく知られている。)

 

コーヒーブレイク(若いラーナー用の軽いコラム)

(A)                 細部は大切

古い話で恐縮だが、ラーナーの参考のために出す。協同製作者の一人がまだ米国で院生として修行していた1960年代中ごろ、教授たちから(たとえ教科書や論文に”It is obvious that …”,  “Clearly, …”などと書いてあっても)「Leave nothing to your imagination !Check it out and satisfy yourself!(憶測はだめだ、検算し、納得せよ!)」とよくいわれたものである。また「Generalization(一般化)は論文生産のためもっとも信頼できるguiding principle(指針)である」ともいわれた。さすが「Publish or perish(論文を発表せざるものは食うべからず)」の国に生きる教授の言葉と肝に銘じたが、「一般化」を念頭に原論文を細部までよく読みほぐし、よく味わうように、とのアドバイスであろう。

「細部が大切」なのはすべての分野に共通している。「Gods are in the details(神々は細部に宿り給う→細部における技術力の差が企業競争力の差となって現れる)」とは、90年代に書かれたIT企業フィクションに登場する台詞である。細部における技術力の差が巨大な営業力の差となって表面化する。 

(B) かつての企業面接 役員面接官と技術面接官数人が着席している。学生P君入室。

役員面接官A「大学生活の中でもっとも印象的だったことを語って下さい。」 学生「○

○の部活と○○のアルバイト体験です。部活では・・・」

アドバイス:部活とアルバイト体験をあげる学生は多いが、面接官はアカデミックな回答を期待している。授業体験や卒研について語るのがよい。

回答例:「線形代数の授業が一例です。高校でベクトルと行列を習ったのでもう十分と思っていましたが、授業では線形代数の奥の深さにショックを受けました」「具体的にいうとどんなことですか」「固有値問題に関するジョルダン分解が極端な例です。それを解凍すれば延々と続く証明の道筋までがわかる、と教授はいいました。また免震構造の研究は固有値問題と深い関係があるともいわれ、簡単な振動モデルが例として使われました。またLAPACKMATLABなど、行列計算パッケージの質の高さはプロの仕事ゆえ、といわれました。大学で学ぶ学問は高校時代に考えていたよりはるかに奥が深いことがよくわかりました。つぎに卒研では・・・」

代わって学生Qさん入室。

技術面接官A「虚数単位の平方根を暗算で出せますか」 学生「エーと・・・できません」

アドバイス:簡単な問題だが、これまた、できない人が多い。ポイントは複素乗算の幾何学的解釈の応用。の平方根、すなわち自乗するととなる複素数は、複素平面内における原点を中心とする単位円周上にあり、の偏角90度の半分の偏角をもつ点およびで与えられる。そこで、答は暗算で

(C)  かつてのテレビ・コマーシャルの一コマ

とある街角の飲食店の前。昼間。カメラは就職情報誌を片手にもって佇む若い和服姿の女を映し出す。店内から主と女房が出てくる。彼らの向かう先には黒い牛が一頭。主(牛に向かって)「人間だったらよかったんだけどね・・」女房「惜しいけどね・・」カメラは再び和服姿の女を映し出す。「人の姿をしていれば採用する」という、古きよき時代(バブル時代)はいまや遠い過去となった。 

 

 

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